推定有罪など

文科省大学基準協会が推進している「アクレディテーション」というのは「この大学は100%まっとうな大学です」という質保証をすることである。その質保証ができない大学は「まっとうではない大学」と見なされる。
つまり、「推定有罪」である。
だから、検査項目は無限であり、検査時間も無限になり、私たちが書かされる書類も無限に増えてゆく。
だが、大学はそのもてるすべてのリソースを「質保証」に注ぎ込んでもそれでも「これまで質の高い教育をしてきたし、これからもするであろう」という事実を証明することができない。
永遠にできないことに、本来であれば教育研究に投入すべきリソースを投入することは無駄である。
彼らは大学に向かって「まっとうな教育研究をすることよりも、『まっとうな教育研究をしていることを証明する仕事』を優先させよ」と言っているのに等しい。
子どもがぴいぴい泣いているのを放っておいて、「子どもをちゃんと育てていることを証明する書類」を書いている親や、殺人事件が起きたときに、デスクにかじりついて「凶悪犯をきちんと逮捕していることを証明する仕事」を書いている警察官が不条理な存在であるということは誰にでもわかる。
だが、私たちは現にそのような「カフカ的不条理」のうちに投じられているのである。


会議と書類の大学 (内田樹の研究室)

どこかで聞いたことのあるような情景ですね。

我々の業界に置き換えれば「『バグのないシステムを作っていることを証明する仕事』を優先させよ」ですかね。

どの業界でも同じようなことがされているのですねぇ。